年賀状のディスラプション後に残るものは何か
毎年12月になると気になる年賀状の行く末
年賀状はどうなるのか?
みなさんは今年は年賀状はどうされますか? 以前と変わらず送っている人、規模縮小しながらも送っている人、SNSやメールで済ませている人など、様々であることと思います。
年賀状のDX/デジタル化については、その作業を容易にしてくれる様々なサービスは多く出現しているものの、システム化すればするほど、年賀状は何のために送ってるんだっけ? という疑問に行き当たります。このような年賀状のDX/デジタル化について、産業のディスラプションを考える視点やプロセスと同様に、新しい価値創造があり得るのかについて考察していきたいと思います。
年賀状が届く喜び
手作り年賀状
私が子供のころ、元旦に年賀状が入っているポストをあけることは、この上ない楽しみだった。様々な友達から寄せられた年賀状には、ゴムやイモなどの手作りの判で作られたものやプリントゴッコで作られたもの、専門の写真館で作ったものなど、様々な個性があり、1枚1枚味わって鑑賞したものである。
その一方、友達の名前や住所を書いて、期日までに投函する作業は結構きつかった。個人としてやっと仕上げて投函して会社に行ったら、今度はお客様に会社として出す年賀状が大量に積まれていて、そこにもメッセージを書き込まねばならず、年末の多くの時間を年賀状書きに費やしたのも、思い出される。
年賀状の手間の効率化
まずは年賀状という伝統がもたらすペイン(不満)の解消という観点で、従来のプロセスが今どのようになっているかを考えてみる。
送り手のプロセス
ポストへの投函
送り先のリストアップ
喪中の宛先の除外
必要な年賀状の枚数の推定
年賀状の購入
デザイン検討
年賀状の作成
あて名書き
メッセージ記入
年賀状が不足したら追加購入
投函
余ったら郵便局で払い戻し
受け手のプロセス
喪中の場合に喪中はがきを出す
受け取った年賀状のうち自身が出した宛先との消込
まだ出していない宛先への年賀状の新規作成
個別投函
転居情報等を確認して住所録などのへの反映
以上のプロセスを見ると、デジタル化で解決できる要素満載であったことがわかる。しかし、かつてはペインだらけであったものの、住所録管理も、デザイン作成も、物理的なハガキ投函でさえも、便利なサービスが解決している。また、投函せずにメールなどで送るサービスも選択でき、ほぼすべてのペイン(不満)が解消されていると言える。
ほぼすべてのペインが解決されるのは良いことだが、ほぼ自動化されたデジタル年賀状を交換することにどの程度意味が残るのだろうかと言う疑問がわいてくる。この年賀状のディスラプションを踏まえたあるべき姿とはどのようなものであろうか。
年賀状のディスラプション後のあるべき姿
年賀状の今後のあるべき姿について周囲の皆様に聞いてみたので、多様な回答をご紹介したい。協力いただいた皆様ありがとうございました。
住所録管理、デザイン作成、印刷のワンストップサービスを活用し、ハートフルなメッセージを手書きして投函する
メールでアスキアート(テキストで表現できるデザイン画)で送る。その後久しぶりの交信が始まって、「re: re: re: re: re: re: 明けましておめでとうございます」みたいなメールが飛び交う
デジタルカードを送り合えばよい
ワンストップサービスで印刷して手書きでメッセージを足して投函する。ただし、メッセージを書く必要性を感じない場合は印刷せず、メールやSNSで済ます
形式的な年賀状はなくなる代わりに、すごい手間がかかる高度な年賀状を作る需要が出現するかもしれない
送り手が印刷するのではなく、送り手はデジタル年賀状を送り、受け手が欲しければコンビニなどで印刷して手元に紙を保管できればよい(無駄に紙を使わない環境を意識)
年賀状という行為をデジタル投げ銭と定義し(郵便局に払うのなら送った相手に払う)年賀状兼お年玉アプリとする。お年玉を使う度に送り手の年賀の写真が見れる
急に死んだ時、親族は年賀状を発掘して葬式の連絡をする。また、ワンストップサービスが普及しすぎると、本人が死んでも年賀状を送り続けてしまいそうなので、死亡時に送付を停止する機能が必要
何もしない
本質的な価値を考える
本質的な価値を見つける
あるべき姿を検討する際にはそのサービスや商品の本質的な価値を考える必要がある。この点では、産業や業界のディスラプションを予測する場合と基本的には同じだ。では、本質的な価値とは何か? 本質的価値とは、それを取り除いてしまうと、そのサービスや商品の意味がなくなってしまうものであり、付随的価値ではないものということになる。本質的価値の見つけ方としては、それがなくなるとどのような課題が発生するかという点から考えることも有効だ。
例えば新聞で言うと、印刷することも、毎朝玄関先に配達することも本質的な価値ではなく、記者が取材をしてクオリティの高い記事を書くことが本質的価値である。そのため、新聞業界のディスラプションにおいては、付随的な価値は、クオリティの高い記事を書くという本質的価値と切り離され、ニュースキュレーションサイトなどで消費者の興味のあるニュースや記事をまとめて表示するサービスや、さらに記事についての専門家のコメントなどと組み合わされ、新しい価値提供の仕組に移行している。しかし、ニュースキュレーションサイトも、もとの記事がないと価値を発揮できないので、記事を書くことが本質的価値と言える。
映画で言うと、配給会社が管理し映画館で上映される必然性が下がり、本質的価値であるコンテンツ自体が直接消費者の持つデバイスに配信されるルートでの消費に主体が移行している。しかし、これらの映画配信サービスについても、映画の制作をする人がいなければ映画配信サービスも成り立たないので、映画の制作をする行為が本質的な価値と言える。
年賀状という伝統の本質的価値については絶対的な核心としての本質的価値が見出しにくいのは事実だが、上記皆様の意見を参考に抽出すると以下の要素が浮かび上がる。
受け手のことを思い出しつつメッセージを書く時間を持つこと
送りてのメッセージを見ながら相手を思い出す時間を持つこと
普段連絡をとっていない友人に年賀状と言うイベントを通じて、疎遠になりがちな友人ネットワークを年に1回強制的に再構築する機会が提供される
住所変更、子どもの誕生などの近況報告を強制的に実施しつながりを維持する
つまり、伝統行事という名目の下に強制的に友人とリコネクトすることが本質的な価値であると推察できる。ただ、これらが無くなるとすごく困るかというと意外にそれほどでもないという方もいらっしゃるかと思う。つまり、この本質的価値はあまり強固なものではないと言える。
代替する新しい価値の検討
ディスラプションにおいては、その本質的価値を代替する他の手段を検討し、顧客が求める他のサービスや要素と結合することで、新しい価値のあるサービスや事業を創造することができる。
しかし、今回の場合は、SNSが年賀状や誕生日メッセージなどの観点で、この本質的価値を代替しており、年に1回どころか、日常的な情報発信をすれば、普段から友人と高頻度で繋がることができる。という意味ではすでにSNSが年賀状と言う行事の本質的価値の代替手段としてすでに使われていると考えられる。
ここまで順を追って検討したものの、結果的に、年賀状はSNSで繋がっていない友人との繋がりを維持することが目的となりやすく、いずれアナログネイティブの減少とともに消えていく運命にあるというのが結論であるように思う。周辺分野で価値創造を図る場合は、年賀状のワンストップサービスで培ったノウハウやデータを使って顧客に新しい価値をイノベーションするなど、提供価値のピボットを検討することが有効かもしれない。
参考)年賀状の発行枚数「ピークは2003年の約44.6億枚、2021年は19億4198万枚」
https://news.yahoo.co.jp/byline/fuwaraizo/20200903-00196437
(荒瀬光宏)
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